2009年02月21日
[中国] 体調の悪い

机の上を緑茶の入ったコップが滑っていく。
これでも揺れはかなり収まっている方だ。
大阪→上海への船の中。
朝食を食べようと部屋を出て食堂に向かう途中、ホールの窓から体調の悪そうな雲と昨日より荒れた波が見えた。
「外海に出たからだよ」と近くの乗客が話しているのが聞こえる。
朝食の料金は運賃に含まれているので、心置きなく食べられる。
食堂の入り口にはすでに人の列ができていた。それに自分も加わる。少し前に進むとなにやら文字が書かれたボードが立てかけてあった。
「お粥おかわり自由」。
よし!
そうとくれば、めいっぱい食ってやる!
ふははっ!
これで昼飯代が浮いたな!
と意気込んで食事を始めたのだけども、まーったく食がすすまなーい。うへ~。おかわりどころか、ようやく一人前の食事を食べきるのが精一杯だった。どうやら船酔いのボディーブローを受けている。こんなこともあろうかと準備した酔い止め薬を飲むと、相席していた人たちに挨拶をして部屋に戻ることにした。「大丈夫か?」なんて声をかけられるのが少し情けなく感じる。
再び目が覚める。
オオゥエエ・・・
ガサガサ・・
とっても不快な状況に船内がなっていると耳が判断する。
嘔吐している声、ビニール袋に何かが落ちてガサガサする音があちこちで聞こえてくるのだ。まるで合唱。鼻から息を吸えば酸っぱい臭いさえ届いてきそうだ。その船内を歩いて出るのは気が引けたので、そのまま簡易ベッドでゴロンと転がる。
薬が効いていたのか、ボクはその合唱団の一員となることを免れた。
もう一度目が覚める。
また誰かが嘔吐している状態がいくらか過ぎ、船内が静かになってきたころホールに足を運ぶ。すると、他の何人かもホールに集まってきていた。時刻は夜の8時過ぎ。夕飯の時間は過ぎていた。
そのホールから少し離れたところに、TVと長椅子がある。
少し偉そうに見える船員が足を伸ばして、コーヒーとタバコでくつろいでいる。またしてもくつろいでいる。昨日もくつろいでいた。
一体いつ働いているんだろう?
船は上海へと向かう。
と信じるしかない。
2009年02月17日
汗と涙と血と握手の出発②

口から血が出ているのは、左端の唇が切れているから。
プックリと腫れてビリビリと痺れております。
そうです。さっきシビレクラゲにプスっと刺されました。
いやいや。
そうです。殴られたからです。
犯人は元バイト先のオーナー。
店に出発の挨拶をするために寄る。今思えばこれは失敗だった・・・。
皆さんご想像の通り「気合を入れてやるから、歯を食いしばれ!」と言われて、
ゴン!!
です。
≪あぁ、なんて良い人なんだろう。俺のためを思って。自分の拳だって相当痛いだろうに・・・≫
ってアホか!!んなこと思えるか!
めっっっちゃ顔痛いわ!!少しは加減しろよ!ってかビンタだろ普通!プロレスラーの猪木だってビンタでしょ!あー、めっさ痛!人前で話がスベッた時より、若気の痛手より痛いですわ!アホアホアホー。
さて、
今回の出発に関して、ボクの超ドタバタ準備を自ら進んで手を貸してくれたヤツがいた。それが前回登場したヒロだ。
送別会も彼が計画して、人を集めたのだった。
そして、それ以前になんと3ヵ月前から出発までの間、彼の実家に居候させてもらっていたのだ!
周囲からの厳しい意見や不明瞭な旅路などにボクの気が滅入っていると、家の前でキャッチボールに誘う。まるでドラマにでも出てきそうな好青年じゃないですか!何度球をとりに走らされたか分からんけど、きっとあれも思いやり。ってことにしておく。
電車に乗り、「後で」と手渡された小さいビニール袋を開けると、出てきたのは小さなアクセサリー。何年か前に、「お前に作ってやる」と約束していたカリブー(アラスカのトナカイ)の角でつくった首飾りだった。
それを見たら、もう泣くしかなかった。「ヒックヒック」しながら5駅ぐらいは泣いた。まさか旅にハンカチーフを持っていくはずもないので垂れ流し。ついでにティッシュもくれればよかったのに。
まったく憎い演出をしてくれたもんです。
駅のホームで仲間と写真を撮った。駆け込み乗車必至のギリギリな時間に。
なんとか笑っては見せたけど、どれがどんな風に写っているかは分からない。
帰ってからの楽しみ?ができた。
プックリと腫れてビリビリと痺れております。
そうです。さっきシビレクラゲにプスっと刺されました。
いやいや。
そうです。殴られたからです。
犯人は元バイト先のオーナー。
店に出発の挨拶をするために寄る。今思えばこれは失敗だった・・・。
皆さんご想像の通り「気合を入れてやるから、歯を食いしばれ!」と言われて、
ゴン!!
です。
≪あぁ、なんて良い人なんだろう。俺のためを思って。自分の拳だって相当痛いだろうに・・・≫
ってアホか!!んなこと思えるか!
めっっっちゃ顔痛いわ!!少しは加減しろよ!ってかビンタだろ普通!プロレスラーの猪木だってビンタでしょ!あー、めっさ痛!人前で話がスベッた時より、若気の痛手より痛いですわ!アホアホアホー。
さて、
今回の出発に関して、ボクの超ドタバタ準備を自ら進んで手を貸してくれたヤツがいた。それが前回登場したヒロだ。
送別会も彼が計画して、人を集めたのだった。
そして、それ以前になんと3ヵ月前から出発までの間、彼の実家に居候させてもらっていたのだ!
周囲からの厳しい意見や不明瞭な旅路などにボクの気が滅入っていると、家の前でキャッチボールに誘う。まるでドラマにでも出てきそうな好青年じゃないですか!何度球をとりに走らされたか分からんけど、きっとあれも思いやり。ってことにしておく。
電車に乗り、「後で」と手渡された小さいビニール袋を開けると、出てきたのは小さなアクセサリー。何年か前に、「お前に作ってやる」と約束していたカリブー(アラスカのトナカイ)の角でつくった首飾りだった。
それを見たら、もう泣くしかなかった。「ヒックヒック」しながら5駅ぐらいは泣いた。まさか旅にハンカチーフを持っていくはずもないので垂れ流し。ついでにティッシュもくれればよかったのに。
まったく憎い演出をしてくれたもんです。
駅のホームで仲間と写真を撮った。駆け込み乗車必至のギリギリな時間に。
なんとか笑っては見せたけど、どれがどんな風に写っているかは分からない。
帰ってからの楽しみ?ができた。
2009年02月16日
汗と涙と血と握手の出発①

情けなくも押し殺した表情からは涙と鼻水が、
大荷物を抱えて駅まで駆け込んだ体からは熱気と汗が、
切れた唇からは血が、
最終電車に乗り込んだ直後、ボクから流れていた。
まさかこんな状態で旅が始まるなんて思いもしなかった。
出発直前。
駅のホームまで、数人の友人たちが走って駆けつけた。文字通り「走って」駆けつけたおバカな連中である。
つい数時間前まで「出発祝い」として一緒に飲んでいたのだけど、時間が迫ってきたのでボクは仲間に礼と挨拶をして、タクシーを捕まえた。
すると、何を思い立ったか彼らはホームまで走って見送ることを決めたようだった。
7月の頭。初夏である。
駅のホームでは自分を含めた6人の男が汗をかき、息を切らしてひと気のないホームに集まった。
出発まではあと5分もない。
一人一人と再び別れと激励の挨拶を交わす。
しかし、最後にまわってきたヒロとは一言の言葉すら交わさなかった。
互いに顔を合わせず下を向いたまま。
別にお互いを嫌い合っているわけじゃない。おそらく、その反対の反対の反対だ。
何か言葉を発しようとすると、目頭が熱くなり、それ以上続けられなかった。代わりに、誰より固く握手をした。
≪あれで言わなきゃならない「ありがとう」の気持は伝わったか≫
と電車の席に着いてから思い返した。
つづく。
大荷物を抱えて駅まで駆け込んだ体からは熱気と汗が、
切れた唇からは血が、
最終電車に乗り込んだ直後、ボクから流れていた。
まさかこんな状態で旅が始まるなんて思いもしなかった。
出発直前。
駅のホームまで、数人の友人たちが走って駆けつけた。文字通り「走って」駆けつけたおバカな連中である。
つい数時間前まで「出発祝い」として一緒に飲んでいたのだけど、時間が迫ってきたのでボクは仲間に礼と挨拶をして、タクシーを捕まえた。
すると、何を思い立ったか彼らはホームまで走って見送ることを決めたようだった。
7月の頭。初夏である。
駅のホームでは自分を含めた6人の男が汗をかき、息を切らしてひと気のないホームに集まった。
出発まではあと5分もない。
一人一人と再び別れと激励の挨拶を交わす。
しかし、最後にまわってきたヒロとは一言の言葉すら交わさなかった。
互いに顔を合わせず下を向いたまま。
別にお互いを嫌い合っているわけじゃない。おそらく、その反対の反対の反対だ。
何か言葉を発しようとすると、目頭が熱くなり、それ以上続けられなかった。代わりに、誰より固く握手をした。
≪あれで言わなきゃならない「ありがとう」の気持は伝わったか≫
と電車の席に着いてから思い返した。
つづく。
2009年02月15日
出発前のジタバタ


不安があったのはやっぱりボクも同じだった。
長期の間、旅に出るということはそれなりのリスクを伴うからだと思う。(本来なら何をするにしても、何をしないにしても「リスク」はあると言えるけど。)旅はしてみたいしキレイな景色を見てみたいけど現実を考えると・・・と踏みとどまる人は多い。
そして、自分もまさにそれだった。
履歴書には書くことのない空白の時間が生まれるわけだし、帰国してからのことはどうなるのやら。同期の連中は企業やどこやらでガシガシ働いてキャリアアップしていくことを考えると、どうにも自分はそんなことをしていて大丈夫なのだろうかいな?と心配になる。ただでさえ、一人旅は一回しか行ったことがなかったし、アフリカやら中近東やらに対してのさほどの情報を持っていたわけじゃないので、必要以上に先のことを考えてビビリにビビリまくった。
けども、結果出発してしまった。
血と涙と鼻水を顔面から発射しながら!(次の記事で書きます)
出発時の覚悟はそれなりのものだったと思う。
何があってもおかしくないし、もしかしたら日本にもう帰ってこれないかもしれない・・・ってのを好き勝手に想像して、それを振り切ったのだから。強い電流なのにmmAの電流計にいきなりつないだ時の針ほど振り切った。そしてその反動で周りに方々にも多大な迷惑をかけてしまった・・・。冷静に考えてみると少々滑稽な自分に恥ずかしさを思えるくらい本気で悩んだ末に出した答えだった。
まだこのときは「どうしてそんなことしたいの?」という質問に対して、これだ!という答えを心の底から言えなかった。周囲を納得させるために理解を得るために、少々意味のありそうな理由をつくってその場を乗り切ってたんだなー。なんて今だから思う。そん時はそれを自覚できているほどの余裕なんて宇宙の彼方だ。それぐらい余裕がなくて、もう旅に出ないと先に進めなくなってた。
そんな昔の自分がちょっとかわいそーできっと良いヤツなので代弁しておく。「よく分からんけど、とにかく旅に出たい!」ってのがその時の気持だった。
したがって、思いついたようにフラっと放浪に出るカッコ良さみたいなのはどこかの誰かの話である。
そうやって、旅に出た。
余計なものをたくさん詰め込んだバッグと頭と一緒に。
2009年02月13日
はじめまして

え?
今の見た?
何か黄色いの飛んでいかなかった??
見てない?
おっかしいなぁ、絶対黄色いカレーが飛んでいったと思ったのに・・・
あ、
どーも初めまして◎
hiyoです!
朝ごはんに海苔で巻いたおにぎり(梅干)と味噌汁(ネギと油揚げ)が出てくると、最高の一日の始まりです。
上のタイトルの「ハダシで歩く」は、裸足で地面の感触を確かめるごとく、世界を全身で感じること。
なので、このブログではオイラの実体験や感じたこと、思いついたこと等をなるべく正直に書いていきたいです。
やっぱり、たまにはウソも書くかもしれません。ウソです。
まず始めは、「世界一周の旅日記」を中心に載せていきます。
2007年夏~2008年秋と1年と3ヵ月をかけて地球を西に一周してきました。面白かったり、感動したり、嬉しくなったり、ドキドキしたり、退屈だったり、腹が立ったり、悲しくなったり、孤独になったり、泣いたり・・・と気がつけば刺激的な非日常の日常になっていました。
旅の間にmixiでリアルタイム更新していた日記と写真が中心になります。
また、全6冊のボロボロになった日記からも「こんなこともあったんか!」なんて自分自身楽しみながら、その時のことを思い出して記事を加えていくつもりです。
このブログを通しても、誰かと知り合い、つながることができたいいなー。
もしどこかの空の下でお会いすることになりましたら・・・飯でも一緒に食べましょう!!
ではでは。
お楽しみいただけたら幸いです

hiyo