2009年03月31日

[ベトナム] 終わってないよ、せんそうは

ある日本人フォトジャーナリストの取材に同行して、ツーズー病院を訪ねることとなった。

本来なら、外部の特別な用がない人間はまず中に入ることはできない所だ。
ジャーナリストの彼は築いた信頼関係によって特別な許可をもらっている。
受付の女性と挨拶を交わす彼の後ろをおまけなボクはおまけらしくついていった。


病院の一角にある「平和村」という病棟。
英語でなく、日本語で「平和村」と書いてある。日本からの資金援助がここの運営費として充てられているようだ。よく見ると壁には日本から届いた子ども達へのメッセージや色紙が貼られていた。

そこでまた受付を通るときに、今度はビニール袋を配られる。それを靴の上からかぶせるのだ。
後ろにいた通訳の女性がボクをするすると抜かして中に入っていく。足元を見ると、靴下だけでビニール袋はつけていなかった。靴を脱ぎ、靴下を履いていればその必要はないようす。

小学校のような廊下を歩き、部屋に入ると6畳あたりの広さに二段パイプベッドが4つ並んでいる。
そのベッドを使うのはおよそ幼稚園から中学生の年齢の子ども達である。ベトナム戦争での枯葉剤の影響を受けたとされる子ども達だ。
その姿は今までにボクが見たことない子どもの姿だった。

Tシャツと短パンから露出した全身の肌が、頭からつま先まで黒くひび割れている子。
両肩から先がない子。
頭の形が変形している子。
あごがない子。
両足の長さが異なる子。
足がない子。
指の先がない子。
目が飛び出している子。

挙げだしたらキリがない。

しかし、その姿を見た自分の中には驚きやショック、拒否反応という感情はほとんどなかった。
それは子ども達があまりにも当たり前にそこに存在し、生活していると感じたからだ。
ボク達が部屋に入っていっても、特に警戒したり興味を持つ様子はなく、いつも通りに過ごしているといった様子であった。


子ども達とドミノゲームをしたり、フルーツを一緒に食べたりして時間を過ごした。
両肩のない子はライチを足の指で器用に皮をむき、拾って食べる。
袋から一つつまみ出すとボクの前に置いてくれた。会話はない。
ドミノのパイもすべて足で操作する彼を見ていたが、自分を哀れに思い、悲観する表情は見当たらなかった。

そして、そんな彼には「可哀想」という言葉は絶対似合わなかった。


「今度はいつくるの?」
一人の子どもがボクたち一行を見送った。
答えられず笑ったまま握った少年の手は異形でゴツゴツしていた。


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Posted by hiyo at 13:21│Comments(0)ベトナム
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